Bali Guide Logo
観光産業の発展|1960年代から現代まで - 1

観光産業の発展|1960年代から現代まで

観光産業の発展|1960年代から現代まで

スハルト政権の観光政策、2002年バリ爆弾テロの影響、コロナ後の変化。楽園イメージの形成史。

「神々の島」「最後の楽園」として世界中の人々を魅了するバリ島。しかし、その観光地としての歴史は、栄光と試練の連続でした。その始まりは1920年代、西洋の芸術家たちがバリの魅力を世界に紹介したことに遡ります。本格的な発展は、1960年代にインドネシア政府が外貨獲得の切り札として観光開発を推進したことで加速しました。以来、バリは世界有数のリゾートへと成長を遂げますが、その道のりは平坦ではありませんでした。2002年の爆弾テロや近年のコロナ禍は、観光に依存する経済の脆弱性を露呈させました。幾多の困難を乗り越える中で、バリの観光は今、持続可能性と文化保護を重視する新しい形へと進化を模索しています。

楽園の「発見」:芸術家たちが伝えた魅力

バリ島が国際的に知られるようになったのは、1920年代から30年代にかけて、ウブドに滞在したドイツ人画家ヴァルター・シュピースやメキシコ人画家ミゲル・コバルビアスといった西洋の芸術家たちの功績が大きいと言えます。彼らは、バリの豊かな自然、独自の宗教文化、そして芸術的な人々の暮らしに深く魅了され、その感動を作品や著作を通じて欧米に伝えました。これにより、バリは「手つかずの楽園」という神秘的なイメージをまとい、一部の富裕層や冒険家たちが訪れるようになりました。この時期に形成された「芸術の島」というイメージは、今日のバリのブランドイメージの原点となっています。

政府主導の開発とマスツーリズムの時代

インドネシア独立後、特に1960年代後半のスハルト政権下で、バリの観光開発は国家プロジェクトとして本格化します。1969年にはングラ・ライ国際空港が拡張開港し、大型ジェット機の乗り入れが可能になりました。また、世界銀行の援助を受け、サヌールクタ、そしてヌサドゥア地区が重点的に開発されました。特にヌサドゥアは、外部の社会から隔離された高級リゾートエリアとして計画的に造成され、国際会議などが開かれるバリの「顔」となりました。この時代、バリの観光は、より多くの観光客を誘致する「マスツーリズム」へと大きく舵を切り、経済は飛躍的に成長しました。

テロとパンデミック:試練を乗り越えて

順調に発展を続けてきたバリの観光産業は、21世紀に入り、深刻な試練に直面します。2002年にクタで発生した大規模な爆弾テロ事件は、200人以上の犠牲者を出し、バリの安全なイメージを根底から揺るがしました。観光客は激減し、経済は壊滅的な打撃を受けました。人々の懸命な努力で徐々に回復を果たしましたが、2020年からの新型コロナウイルスの世界的なパンデミックは、それを上回る危機をもたらしました。国境が閉鎖され、観光客が完全に途絶えたことで、多くの人々が職を失いました。この経験は、観光一本足打法のリスクを浮き彫りにし、経済の多角化や、より持続可能な観光のあり方を模索する契機となりました。

概要

観光産業の発展|1960年代から現代まで | Balitra(バリトラ)| バリ島総合観光ガイド