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バリ島のサーフィン文化|欧米サーファーがもたらした変革 - 1

バリ島のサーフィン文化|欧米サーファーがもたらした変革

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バリ島のサーフィン文化|欧米サーファーがもたらした変革

1970年代の映画「モーニング・オブ・ジ・アース」、ヒッピー文化の流入、クタの漁村から国際リゾートへの変容。

今や世界有数のサーフデスティネーションとして知られるバリ島ですが、その歴史は1960年代後半から70年代にかけて、完璧な波を求めて世界を旅した欧米のサーファーたちによって始まりました。彼らが「発見」したクタやウルワツの波は、伝説的なサーフムービー『モーニング・オブ・ジ・アース(Morning of the Earth)』(1972年)によって世界中に知れ渡り、バリを神秘的な楽園として描き出しました。この映画は、単なるサーファーだけでなく、ヒッピー文化に代表されるカウンターカルチャーの若者たちをも惹きつけ、静かな漁村だったクタを国際的なリゾートへと変貌させる大きなきっかけとなったのです。サーフィンは、バリに新しい経済と文化をもたらした、現代史における最も大きな変革の波の一つでした。

楽園の波の「発見」と初期のパイオニアたち

1970年代以前、クタは観光とは無縁の、素朴な漁村でした。しかし、その沿岸に打ち寄せる美しい波は、まだ見ぬパーフェクトウェーブを求める少数のオーストラリアやアメリカのサーファーたちの注目を惹きつけました。彼らは、地図にも載っていない道をバイクで走り、ウルワツの断崖に隠された伝説的な波を発見するなど、冒険的なサーフトリップを繰り広げました。当時のサーフィンは、商業的なスポーツではなく、自然と一体になるための精神的な探求であり、彼らにとってバリはまさに聖地でした。地元の人々は、板の上で波に乗る奇妙な外国人たちを温かく迎え入れ、これが後に世界を席巻するバリのサーフカルチャーの夜明けとなったのです。

映画『モーニング・オブ・ジ・アース』が創り上げた神話

バリのサーフカルチャーを決定的に世界へ広めたのが、1972年に公開されたオーストラリア映画『モーニング・オブ・ジ・アース(Morning of the Earth)』です。この作品は、単なるサーフィン映画ではなく、文明社会を離れて自然と共に生きるという、当時のヒッピー・ムーブメントの理想郷をバリに描き出しました。息をのむほど美しいウルワツの波に乗るサーファーたちの姿は、詩的な映像とサイケデリックな音楽と相まって、バリを「最後の楽園」として神話的な存在に押し上げました。この映画に触発され、世界中の若者たちがバックパックを背負い、この楽園を目指してクタに集まり始めました。映画が創り上げたイメージは、その後のバリの観光開発の方向性に大きな影響を与えました。

漁村クタから国際的なサーフハブへの変貌

サーファーやバックパッカーの流入は、クタの風景を一変させました。当初、彼らは地元の民家に間借りしていましたが、需要の増加に伴い、住民たちは「ロスメン」と呼ばれる簡易な宿泊施設や、「ワルン」と呼ばれる食堂を次々と開業しました。これが、バリにおける草の根の観光産業の始まりです。やがてサーフショップやバー、ディスコが建ち並び、かつての静かな漁村は、昼も夜も賑わう国際的なリゾートタウンへと急速に変貌を遂げました。この開発は、経済的な恩恵をもたらす一方で、ゴミ問題や無秩序な開発といった課題も生み出しました。クタの変容の物語は、サーフィンという一つの文化が、いかにして島の社会経済全体をダイナミックに動かしたかを物語っています。

概要

ギャラリー
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バリ島のサーフィン文化|欧米サーファーがもたらした変革 | Balitra(バリトラ)| バリ島総合観光ガイド